andando y cantando​

Natsuko Nagahama

<いつの頃から…女優と歌手へ> ※長いですスミマセン。

 さすがにもう年齢もあってか、誰にも言われなくなりましたが、女優なの?歌手なの?…この道一筋、とどちらか言わないといけないのかなと心によぎりながら、どちらもですと答えていました。あとは相手に好きに解釈してもらえばいいやと。こうやって歩いてきて、どうにも変えられません。

 子どものころ、家には母のピアノがあって、弾いて遊んでいました。アニメソングやテレビで聞いた曲も耳で音を探し出して、鍵盤を鳴らすのが楽しかった。何度か習いにも行きましたが、小学生の頃は遊ぶことの方が楽しくてやめて、中学、高校ではひどい腱鞘炎になり断念。それでも好きな曲は部屋で耳で聞いて弾いて歌っていました。部活は合唱部、練習に明け暮れる日々。放送部員でアナウンスもやった。そのころ古道具屋で(笑)買ったギターは弦高がやたら高すぎて、本を見ながらサドルをやすりで削ったりして工夫するも難しく、中学生の時に叔父にCats Eyeという、当時はやりのMorrisとかではないフォークギターを買ってもらい部屋で練習して例のFコード、鉄弦がくいこみ指先や腱鞘炎の痛さに困りながらそれでも当時の流行歌を歌っては夜を明かしていました。そういえばセル画や自作漫画も良く描いていた。白百合学園高等学校に入学、演劇部に入り、ここから今につながってくるのですが、

 本格的なボイトレは高校3年生の時と桐朋学園で声楽を、コンコーネとかコールユーブンゲン、トスティや日本の曲などを。卒業後に俳優座ではミュージカル曲等をやりました。個人的に舞台の為に地声を鍛えたくて、洋楽でロックやニューミュージックなどを使う教室にて足掛け4~5年?ボイストレーニングを受けていました。そのうちJAZZにあこがれ、ボーカル・ジャムセッション(今でいうオープンマイク)によく行きました。実は、芝居の旅公演先にもメロ譜をもって夜な夜な歌いに歩いていたのです。

 

 様々なミュージシャンの方々と出会いがあり、2000年JAZZを歌う歌手として小さなスタートを切りアマチュアビッグバンド、コンボ、ハワイアンバンドなどでレギュラーで歌わせて頂いた。アマチュアといっても、現役引退された人たちも多く、何も知らない私にいろいろと教えて下さった。思い出深いのは小岩のグランドキャバレー「ハリウッド」。映画のセットかと思う素晴らしい店構えで、内心とても楽しかった。ライブハウスのほかにホテルのクリスマス・コンサートとが街角ライブとか色々。

 

 プロの方たちにも出会い始めて、いよいよソロの歌手としてピアノバーやライブハウスへ出始めた頃に、アルゼンチンタンゴに出会う。当初、JAZZとタンゴを歌っていたが自然とタンゴだけになっていった。「Moon River」の ”River”をホールコンサートで口が勝手に、巻き舌で歌っちゃって(スペイン語は冒頭にRが来ると巻き舌)こりゃ体になじむまで両方は無理、しばらく封印…と思ったのでした。

 2003年6月よりエスタモス・アキ タンゴ楽団にて本格的にタンゴ歌手として活動開始。2005年にブエノスアイレスへ渡り研鑽を積む。アルゼンチンタンゴを歌い詩を朗読。この頃より、ボルヘスの詩に出会いライブハウスなどや企画コンサートでタンゴや即興音楽と朗読を始める。数々のライブやコンサート、自主企画も含めてたくさんの場で歌わせて頂きました。良いことも楽しいことも、悪いこと酷いことも手ごたえのある日々。あっという間に時は過ぎてゆきました。多くの人たちとの出会い。準備期間も含めて15年間、タンゴを歌いながら、人として女性として生きてきました。

 そしてバンマスの死。実際、私も一度死んだのだと思います。長い長い時間、私は死んだまま生きていた。歩きながら毎日毎日、想いをめぐらせ、毎晩毎晩、ベッドの中で硬くなって、息をしながら死んでいた。眠れない。何か食べても味がしない。色彩を失った風景に感じる。気がつくと海に足が向いている。3ヶ月くらい家の中に波の音を流していた。ヴォサノバをよく聞いていました。…でも、芝居も音楽も語りもやめなかった。立ち止まってはいけない気がした。悲しいときはピアノを弾いた。自分への慰めではなくて生徒さんの伴奏をする為に稽古が必要だった。1か月が3年に感じました…。あの時期…たくさんの人たちが私に手を差し伸べて心を寄せて下さり、私は感謝をしながら生きた、いえ、生かして頂いていたのです。そして心に、冷たく長い冬が訪れました。(しかしこの時期に出会ったことごとは、歌い手として、女優・語り手…人として豊かな経験となりました)

ある日、心の底から歌いたいと思う瞬間がやってきて

それは奇跡のようだった…

美しい音色に心が解放されて

窓から入る自然光に包まれたまま

私の声が…あたたかい涙のように

ながれるように出てきた…

つぎからつぎへと、声が溢れてきます

花が咲きこぼれるように

笑顔が浮かび

喜びに胸が高鳴りました

もう一度、この世に生まれた気がしたのです

あの日の午後とその方の音楽を

私はずっと忘れない…

人の声や音楽は、きっと誰かに希望を与えることがある

勇気をもって歌い、演じて語ってゆきたい

そして悲しみや孤独には、なんとも味わい深い色彩があります

それを私たちは、音楽や芝居や小説の中で追体験したり、

心を濡らしたり、似たような想いをかさねたり、眺めたりできる

​…そうやって楽しむ、味わうことができます

年を重ねることの、喜びのひとつかもしれませんね

いかがですか?

これも私の、女優・歌手としてのプロフィールです

でも、お仕事の提出用には使えませんね(笑)

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