<朗読と私  ~飯田善國氏との出会い~>

 私がいた当時の桐朋学園は俳優座養成所が桐朋学園演劇科であった頃で、特別講師として田中千禾夫氏(日本の劇作家、演出家、フランス文学者)千田是也氏(演出家・俳優・俳優座創成者)の特別講座がある時代でした。

 

その講師陣の中に、彫刻・現代美術家・詩人の飯田善國さんがいらっしゃいました。(飯田善國氏 Wikipedia

 

 

「ハイパー・エロティック・コスモロジー<円盤の五月--肉体ピン>」

 飯田先生の作品「円盤の五月--肉体ピン」を若手俳優たち(女優たちとありましたが実際には男性もいました)群読によるパフォーマンス。場所は京都国立近代美術館に於ける飯田善國個展にて。人生で初めての朗読でのお仕事でした。女優たちは網タイツにレオタード、ハイヒール。色鮮やかなロープ、ステンレスの立体がどしりと並ぶ、各展示室を自由に居たり、高速で詩を読みつないだり、声をぶつけあったり、やりとりしたり…思うままに表現しました。今思えばあの頃、詩は自由に読み歌うものだと…なんとなく覚えたのかも知れません。

<archive> http://www.momak.go.jp/Japanese/exhibitionArchive/1988/197.html

 

 俳優座の若手時代、飯田善國氏のご自宅で詩人の集まる会がときおり開催されて、私は何度か参加をしていました。奥様はドイツ人でいつも手作りの美味しいお料理を私たちにふるまって下さった。私たち、若手俳優はそれぞれ詩をえらび自由に読むのです。21才の私は、鈴木志郎康さんの「処女プアプア」をピンク色のかつらをかぶり(今のように売っていないのでアクリル毛糸を使い自作)詩人の皆さまの前で動読---パフォーマンスしながら読むのです。バス停を間が曲がるところで詩人の方たちがついに吹きだして笑ったけれど、その理由はわからなかった。顔から火が出るように恥ずかしかった。その後、飯田先生にはしばらく「プアプアちゃん」と呼ばれていました。その会のときにどなたか詩人の方から「詩人はかつて詩を発表するときには、自分で読んで発表した」と伺いました。その後の人生で、詩人の方が自作の詩を読まれる場面に何度かお目に掛かりましたが、あんなに説得力がある語りはほかにありません。だって詩人のゆるぎない心、えらばれた言葉をご自身で話されるわけですもの。私たちが読むものとは違った質のものだと思いました。

  サイケデリックな色彩や映像を、イメージさせて下さった飯田先生ですが、今私が日本の文学や海外の物語を読むときに、語りの土台になっていると感じます。見えたもの、感じた感触をそのまま声にするということを、自由にやらせて下さったからです。なにをしても否定するどころか、面白がって下さった。詩の読み方とは、なんて言われたことがありませんでした。もちろんストレート・ナレーションというものをその後に違う場で専門家に学ぶこともありましたし必要な場面ではそう読むのですが、一定のリズムできれいに音読をするということの前に、湧きあがる映像にふたをしない、というところからスタートしていますので、それが私の読みの原型だと思います。本当に大きな出会いでありました。飯田先生、ありがとうございました。その時出会った作品を、あの時代にしかできない表現でやれて良かったと思います(笑)

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